むかーし、むかし。沼垂には、それはもうたいそうな長者さんが住んでいたという・・・。
長者の暮らす村には大きな大きな川が流れていて、そこには鮭の大助・小助という鮭の神が信濃川に住んでいたそうな。
この大助が海から川へ上るときには漁師たちは網をかけてはならないという古くからの言い伝えがあった。
沼垂に住むたいそうな長者は、鮭を取って財を為していたが、その禁をやぶり、金の網を使って鮭の大助・小助を捕まえたという。するとこの鮭の神のわざわいにより、長者は没落して死に絶えたという。
長者というと日本の昔話では名主や庄屋さんよりも大金持ちというのが定番。
これは昔話や伝説かというとそうではなく、沼垂周辺には「王瀬の長者」という実在の人物がいたという。
沼垂テラス商店街近くにある弘法大師・空海が開基した真言宗の寺院、法光院には王瀬長者の供養塔が残っている。
長者の暮らした屋敷は広大で、今の新潟市東区にその名残りの地名が多く残っているとか・・・。
地図を広げ地名を眺めると当時の姿が想像できる。
・屋敷のあった長者町、王瀬新町、上王瀬町
・物見櫓もしくは高台にあった物見山
・屋敷の門があったところが上木戸、中木戸、下木戸、山木戸
・藤の花を愛でた藤見町
・牡丹の花が咲く牡丹山
・月を眺めた月見町
・宝物殿のあった宝町
・他にも小金町、白銀、錦町と、ここから推測すると藤見、月見といったように名前に風流な地名が多く残る。
これは、やはり都(大和)からの高貴な血筋がこの地にいたということが証拠なのではなかったか。
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